【インタビュー】鈴木裕一さん - 紙加工アドバイザー

弥富市神戸で「紙加工アドバイザー」として活動されている、株式会社 鈴木紙工所 代表取締役社長 鈴木裕一さん(44)を訪ねました。


1.仕様が決まっていなくても相談できる紙加工のプロフェッショナル

- 鈴木紙工所さんの特徴を教えてください。

鈴木紙工所は、大量の紙の抜き加工に適した「トムソン抜き機」、厚さのあるものや重ねて抜き加工できる「プレス加工機」、小ロット向きではあるものの非常に細かい抜き加工が可能な「レーザー加工機」、その中間に位置する「ロータリーダイカットマシン」を備える紙をカタチに切ることに特化した加工所です。

加工機を4種類揃えている会社は珍しいです。


様々な加工仕様に対応できるため、当社に依頼するお客様は、依頼時にどのような紙加工をするのか、仕様が固まっていない段階で相談いただいても問題はありません。

切りたい紙の種類、形状、数量などから、適した加工法をご提案します。企画・仕様を一緒に決めていき、最適な手段で抜き加工することができます。

通常ですと、どう加工するか、予めお客様にて仕様を決め、それに適した加工機を有する会社に依頼するしかありませんでしたが、当社では企画段階からでも一緒に進められることが特徴となります。


2.旧十四山村で過ごした少年時代、東京の商社での社会人生活

- 弥富市ご出身と伺いました。

そうです。先代である父が伊勢湾台風後に転居した旧十四山村神戸で鈴木紙工所を創業し、私は長男として経営を引き継ぎました。

弥富市は旧十四山村と弥富町が合併した街ですが、私は旧十四山村の生まれとなります。


- 少年時代は弥冨でどんな過ごし方をしましたか。

私は昭和47年に生まれました。

私たちはちょうど団塊ジュニア世代で、私の少年時代は、周りに子供が非常に多く、同じ地区でも通学団がいくつもありました。

かくれんぼやポコペン、駄菓子屋通いなどして遊んでいましたが、特に私は実家が紙加工の工場ですので、広い駐車場で秘密基地を作る遊びが大好きでした。

友達を呼んで、駐車場に作った秘密基地に寝泊まりまでしていましたよ。

ある時期になると、捨てられた金魚が大量にその辺の用水路に泳いでいたので、友達たちとタモをもって、ざぶざぶと用水路で(まさに)金魚を救っていたこともありました。

あとは、ちょうど任天堂のファミコンが発売された時期でしたので、テレビゲームにもハマり、蟹江のヨシヅヤやユーストア(現ピアゴ)のあたりに自転車で行き、最新のゲームカセットを探し回っていたのが懐かしいです。


- 学生から今の社長という立場になられるまでを教えてください。

大学卒業まではずっと愛知県ですね。

長男ですが、ずっと苦労していた父の姿をみているので、会社を引き継ぐことには少し消極的でした。引き継ぐにしても、しっかり自分に仕事ができる能力を培ってからと思っていました。

就職活動でも紙業界であることに拘りはなく、当時は就職氷河期でしたので、メーカーや商社を問わず、とにかく多くの会社に応募していましたね。

就職活動の時期は、特に上昇志向が強く、「自分の成長に繋がらないと思ったら辞めます」と言うようなことを面接で平気で話し、ぜんぜん内定が取れませんでした(笑)

就職は苦労しましたが、それでも大手製紙メーカー系列の東京の紙商社とご縁があり、入社することができました。22歳から8年間、東京の紙商社に勤めました。


20代の終わり頃、父親は体調を崩したことで気弱になり、帰省するたびに実家へ戻ってこないかと、打診をされることが多くなりました。ちょうど携わっていたプロジェクトが区切りを迎えたこともきっかけで、30歳で紙商社を退職し、鈴木紙工所へ社員として入社しました。

しばらくは仕事のやり方を覚える期間がありましたが、1年ほどで代表取締役となりました。


3.「人との縁」に支えられた半生

- 大切にしていることはありますか?

「人との縁」ですね。

振り返ってみると、私の人生はいつも「縁」に支えられてきたと感じています。

だからこそ、私も縁ある方を助けられるようにしたいと思っています。


-なるほど。縁に助けられたエピソードはありますか?

1つ目は、会社の社長になってからのことですね。

当時、会社の仕事の9割が特定の大企業からの加工発注で成り立っていました。

が、リーマンショックが起き、受注量が半減してしまいました。

それまで24時間ひっきりなしに紙加工機が稼働していましたが、日中も止めてしまうぐらい急に仕事がなくなってしまった。

これには焦りました。何かせねばならないと走り回りました。


そんなとき、かつての紙商社で担当していた取引先様が、私のために、お客様の数社をご紹介していただくことがありました。ありがたいですよね。


でも、そんな紹介された先で、発注内容の切り抜き仕様が細かすぎて、機械の性能が追いつかず、お断りすることになってしまった仕事もありました。

これは悔しかった。

悔しい思いを抱いてから、業界のいろいろな機材展にも顔を出すようになり、そこで最新のレーザー加工機に出会いました。

レーザー加工機があれば非常に細かい抜き加工ができる。

そう思ったら、勢いで買ってしまいました。まだオーダーもないのに機械を導入。


新しいレーザー加工機を使い、試行錯誤を経て、自分の似顔絵が切り抜き加工されている名刺を作りました。

この似顔絵名刺が、既存の取引先や知人の間でウケて、そこから先、さらに縁のあった方々へ、広まっていきました。

この周り方々のリアクションの大きさが「KirieFabbrica(きりえファブリカ)」として切り絵を事業化していく構想へと発展しました。

発注激減のどん底から、新しいブランド立ち上げに至るまで、多くの縁があってやってこれたと思います。


2つ目は、きりえファブリカでも感じましたね。

ブランド立ち上げのきっかけになった似顔絵ですが、これも知人の縁で良いデザイナーさんに会うことができ、抜き加工を伴う似顔絵というオーダは難しかったと思いますが、辛抱強く何パターンも作ってくれました。

そのデザイナーさんは、さらにWebデザイン会社やブランディングの会社もつながりで紹介してくれましたし、一宮の女性起業家の集まりにもつながりました。

そして素晴らしいスタッフにも恵まれるなど、縁が共鳴して、きりえファブリカはブランド化していきました。


3つ目ですが、実は2009年頃に三重県鈴鹿市の山で遭難したことがあるのです。

捜索隊が出て翌日に発見救助されましたが、いろんな人に迷惑かけながらも命が助かったのは、自分には何か世のためにやるべきことがあるんだろうなという、妙な使命感を強く持った部分がありますね。


-確かに熱い使命感を感じますね。

はい、暑苦しすぎるとよく言われます(笑)


4.きんちゃんに惚れ込んで作ったペーパークラフト

-弥富市の会社ならではの活動はありますか?

弥富市のマスコットキャラクターである「きんちゃん」のペーパークラフトを試行錯誤して完成させ、販売していますよ。

市長に気に入っていただき、弥富市の幼稚園や小学校に一斉配布されたこともあるんです。

また、中学校の「文化講座」という地域の企業が中学生に体験学習を提供する取り組みがありますが、これには毎年参加し、ペーパークラフトの講座をしていますね。


-きんちゃんのペーパークラフトを作ろうとしたのはなぜですか?

ある日、北陸の紙の展示会で、非常に精巧な虎のペーパークラフトに出会いました。

完成品が非常に素晴らしかったので購入したのですが、組み立てが必要なキットで、紙は切り抜きがされておらず、非常に細かい大量のパーツを自分で切るものでした。

これはがっかりしましたね。

でも、ふと自分が切り抜きのプロフェッショナルであることに気づいたのです。

予め切り抜き加工が済んでいるペーパークラフトを作りたい、と。


そうして商品化する際に選んだのが、地元弥富の「きんちゃん」だったんです。

しかし、きんちゃんは2次元のイラストですから、ペーパークラフトとして立体化するには、複雑な設計で球体を構成しなければならず、非常に設計や組み立てに苦労しました。

きんちゃんの立体化は、版権を持つ弥富市とも調整が必要で、試作品ができるたびに市役所を訪ねて相談していました。


-きんちゃんのペーパークラフトは広まりましたか?

市に何度も相談に行っていたこともあり、完成時のプレスリリースには市も協力してくれたんです。

大手新聞社や企業経営者の会にアピールしてくれました。

これも縁ですね。


プレスリリースがきっかけで市長に挨拶に行くこととなり、そこで気に入ってもらえて、学校に配布することになりました。

また、地元の文具店にも知人を通してつながり、きんちゃんペーパークラフトのみならず、「弥富市をもっと盛り上げよう」と一致団結し、熱いつながりが生まれましたね。


5.弥富市への思い「永遠のふるさと」

-弥富を盛り上げるため、熱い活動をされていますね

そうです。文具店さんとの話がきっかけで、「弥富サポーターの会」を立ち上げました。

SNSを活用して、市議や地元商工会の方などを巻き込み、自由なお茶会や弥富ツアーを企画し、活動は2年ほどになりますね。


-弥富市をどうしていきたいですか?

やっぱり金魚が好きなんです。

金魚、きんちゃんの知名度をもっと上げたい。

名古屋市に近い弥富市は、人を呼ぶための立地としては申し分はないのに、なぜか立ち止まっていく人は少なく、電車は通過駅のようになっています。

この現状を変え、立ち止まって弥富を楽しんでいく人を増やしたいですね。

それには弥富市の魅力発信が必要だと思います。


-弥富市で商売をされているメリット、デメリットは?

メリットは交通の便が良いことですね。

高速道路を使って、名古屋市内や近郊にどこでも30分+αで行けます。

打ち合わせや納品引取りなどに便利です。

また、特に当社に限ったことかもしれませんが、旧十四山村のほうは住宅が少ないので、夜遅くまで工場が稼働して多少の騒音があっても、まわりに迷惑かけずに済むこともあります。(苦笑)。

昔ながらの地域コミュニティの絆が強いので、地域で困ったことがおこっても、お互いさまの精神で解決しやすいです。


デメリットは、意外と名古屋市内の人たちからは、遠い印象を持たれていますね。

こっちから積極的に出向く必要があることもあります。

また、一緒に働くメンバーの募集には苦労しています。

中途採用やパートさんとも、なかなか採用応募が集まらないことが多かったです。

そのために、自社のブランディングを一生懸命やってるという面もありますけどね。


-最後に、鈴木さんにとって弥富市とは?

そうですね、難しいですね.....

「ずっと元気でいてほしい、永遠のふるさと」..です。



-ありがとうございました



熱い思いで地元の弥富を「きんちゃん」で盛り上げようとしている鈴木さん。

個人の方の結婚や出産などのライフイベントの記念品制作の際や、企業の商品・ノベルティ作成など、「紙の加工」にニーズが出たら、ぜひ紙加工アドバイザー、鈴木紙工所へ相談してみましょう。

私もきんちゃんペーパークラフトを作ってみたくなりました。

そして、きんちゃんお面も実はあるそうです。


コジロウ

弥富市非公式Webメディア「やっとみつけた、弥富」編集長です。
http://yatomi.localinfo.jp

愛知県弥富市在住。
1984年生まれ。


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