【インタビュー】久野 仁さん - いいなもっと株式会社代表取締役社長
ボクが弥富の"まちづくり"に関連するようなイベントに出かけるといつも顔をあわせるのが、いいなもっと株式会社の久野 仁(くの ひとし)さん(61)です。
古くは弥富の中心地でスーパー「いなもと」を経営されたのち、現在は"町のIT駆け込み寺"とも言うべき"いいなもっと株式会社"を経営しておられ、さらに並行して娘さんと"ココナッツ・アクセサリー"という食品サンプルを使ったアクセサリー等の工房も運営されています。
「自分は、グイグイとやりたいことに向かって進むリーダータイプじゃないけれど、そういったリーダータイプの人と一緒になって何でも面白がって手伝いながら進めていくのが自分には合っている」とおっしゃる久野さん。
今回は、ご自身の半生とともに、久野さんが思う「自分ができるまちづくり」というテーマでお話を伺いました。
(取材日:2019年12月9日)
暮らしのITサポート「いいなもっと株式会社」
-- (コジロウ)今日は久野さんのお仕事とまちづくりについて教えてください。
(久野さん)はい、よろしくお願いします。
私は弥富生まれ弥富育ちで、現在は弥富の中六(JR弥富駅近隣)にて「いいなもっと株式会社」の代表をしています。
パソコン周りの「老舗の町医者」という気分でやっていまして、中小企業や個人のお客さんがPC関係で何か相談やトラブルがある時に来てもらい、初期判断をして、自分でできることはもちろん対応するし、もっと大規模で専門的な対応が必要な時は「都会の大病院」を紹介することもあります。
まずは最初に来てもらうところ、ですね。
手配手数料をもらって、パソコン一式を買い揃えてきて、どこからいくらで買ってきたのかオープンにするサービスもしていて、これは分かりやすいと好評ですね。
-- 難しくなりがちなパソコン関係で、安心して相談できる相手が近くにいるというのはいいことですよね。
暮らしのITサポートを掲げ、「パソコン関連の相談はなんでもどうぞ」という旨の看板を店の前に出しています。
最初にこの看板を出す時、「久野さん、そんな看板置いたら面倒なお客さんがいっぱいくるよ。大変だよ」とおっしゃる方もいました。
でも、私はそれがむしろ良いと思っているんです。
なんでも相談できる人が町にいて、安心できる環境を作るというのが、きっと私たちができるまちづくりなんですよ。
自分たちの産業を育てることがまちづくり
観光とか"町おこし"という話題になると、行政が動くような大きなスケールのことや、社会を劇的に変えるような強い想いのある偉人が成し遂げるようなことを想像したりしがちなんですが、この地域に住む私たちのようなイチ事業家ができるまちづくりって、もう淡々と自分たちの産業を育てて、それを町と地域の柱にしていくことなんだと思うんです。
誰かに変に期待したり、周りが動かないからできないとかではなくて、自分ができることをやるしかない。それがまず先にあって、その支えとして行政なりに動いてもらうことはあるかもしれません。
そんな想いをもって"まちづくり"を考えていますね。
-- そういった考えに至ったきっかけはあるのでしょうか。
30代のころの、当時参加していた津島法人会や運営スタッフとして一生懸命活動した青年会議所(JC)での出来事かもしれません。
そこでも「観光を強化しよう」というような話題がありましたが、会員として参加しているメンバーは個人宅の建築関係だったり、ガスや水道だったり、インフラ周りの地域の仕事をやっている方ばかりで、外向けの観光イベントを強化して一時的な観光客がどっと来たところですぐ儲けるようなタイプの業種の会員はほぼいなかったんです。
こういう状況で「地域をインフラで支えているような事業をやっているメンバーでのまちづくりって何だろう」と考え始めて、それは観光とかイベントではなくて本業そのものをしっかりと育てて町そのものを作るしかないんじゃないかと思い至ったんですね。
-- 派手なイベントをやって観光客を呼ぶのだけが観光ではないと気づかれたんですね。
そもそも自分は商売が下手なんです。お金儲けができない。
それは26歳から45歳までやっていたスーパーの経営を通じて身にしみて感じましたね。
だからもう「売上で地域No1!」みたいな会社を目指すのでもないし、観光で経済が回るような仕組みを考えるのでもなくて、しっかりと自分ができることで1つでも地域に還元していきたいという考えになって仕事をしています。
私の場合は、それがパソコンの駆け込み寺になることでした。
大学時代からアセンブラ、BASICを使いこなして、専攻していた化学の解析をソフトウェアで効率化するような体験はしてきていましたので、ITに関しての素養は昔からあったんです。
その後、スーパーの経営をしている時代に法人会のメンバーのPCトラブルの相談に乗ることが増え、当時ボランティアで色々とやっていましたが、46歳の時にスーパーを閉めることになって、PC関連の事業を本業にして起業することにしました。
-- 自分の事業を町の柱にするのがまちづくり、よく分かりました!
子どもたちに経験をプレゼントするイベントを運営
-- その他にもまちづくりという観点で取り組まれて来たことはありますか。
地域の子ども達に色々な体験をさせるイベントやってきましたね。
当時自分の娘たちが小学校高学年で、PTAの自主活動費があり、「子供たちに何かさせてあげたい」という同志がいたので、意気投合して活動を始めました。
近所の子供たちを集めて、味噌作り体験や木曽川でカヌー、キャンプ会、芋掘りなどなど、インドアもアウトドアも含め、そこそこの規模でイベントを企画運営していましたよ。
木曽川のケレップ水制群を歩いて探検するイベントや専門家が立ち会って実施した「野草を食べる会」なんかは珍しくて印象に残っています。
有名ホテルのシェフ指導のもと、自分たちでコイを生きたまま捌いて、そこからシェフに調理してもらい、「自分たちが食べているものはさっきまで生きていた」ということを知る教育も兼ねたイベントもありました。
他にも、熱田には伊勢湾地域を縮小したミニチュアモデルがあるので見学に行ったり、日光川の法面に絵を描くイベントもありました。
大人になった彼らに「今でもあのイベントは覚えているよ」と言ってもらえることもあって嬉しいですね。
-- 地域の子どもにとっては貴重なイベントですね。今はもうやってないんですか?
今はもうやっていませんが、今の若い子育て世代、それこそコジロウさんのような年代の人たちと組んでもう一度やりたいなと思っていますよ。
人の子どもを預かって運営するイベントには色々とクリアしなきゃいけないことが多くなった時代なんですけど、子どもには親と離れて「他の親に預けられる体験」が必要だと思っています。
ある校長先生からは「全寮制」のメリットを教わりました。幼少時代に親元を離れて知らない人だけの環境で育つと、ストレス耐性が上がるのだそうです。
私も、神戸のお寺まで子どもたちを預かってバスで泊まりの旅行に行くイベントをやっていました。
知らないおじさん、おばさんと一緒に旅行に行き、渋滞とか予定通りには進まないことも含めて経験し、敢えてストレスを感じさせる。
そして「知らない人ばかりでも、案外、世の中は暖かいんだ」ということを一番感じて欲しいと思っていました。
そういう経験は今も必要なことだと思っていますね。
-ぜひ一緒にイベントお願いします。今日はありがとうございました。
0コメント